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マクドナルド・コーポレーションは創業59年ほどになるが、いまだに、世界ナンバーワンの外食企業であり、成長を続けている。そのマクドナルドの成功に導いたイノベーションを見ることにより、外食産業のイノベーションを明確にすることができる。
マクドナルドは1939年にロサンゼルス郊外でマクドナルド兄弟により誕生。後にレイ・クロックが買い取り、1953年にマクドナルド・コーポレーションを設立し、全世界に店舗展開し、世界最大のレストランチェーンとなった。そのため、マクドナルド兄弟やレイ・クロックがファスト・フードを誕生させたように思われているが、急にその業態が誕生したのではないだろうと仮説を立てた。
マクドナルドはフォード社の流れ作業を取り入れた大量生産方式を取り上げ、低価格のハンバーガーを発売し成功した経緯を述べた。フォードの流れ作業大量生産方式の起源はフランス陸軍の銃器製造に源があり、それが、米国政府の工廠方式による銃製造の際の品質規格を確立し、その後、シンガーミシンやマコーミック農機具の大量生産につながり、自転車の大量生産が始まった。自転車メーカーのホープ社は大量生産をするために道路を舗装するなどの道路整備の法制化を働きかけて成功した。それらの道路網の確立と、大量生産技術、そして、国民所得の増加、がフォードの大量生産方式を成功させ、有名なモデルTを誕生させた。フォードはモデルTの製造方式で何らの特許を取得しているわけではないが成功した。このフォードのケースのようにマクドナルド以前にマクドナルドの成功要因が確立していたのではないかと仮説を立てた。
その結果、マクドナルド成功に導いたQSC、人、物、金の管理方式は1800年代に既に他企業が確立していたことが明らかとなった。

(2) きっかけ
筆者はマクドナルドが成功したのは、顧客に商品の質、サービス、清潔さを提供するスローガンQSCを確立し、組織的運営方法の人物金の管理方法を確立したからだと思っていた。そして、組織拡大のためにフランチャイズチェーン方式という他人資本の活用を利用したのが成功要因だと思っていた。
http://diamond.jp/articles/-/12755?page=6
の記事で公認会計士の高田氏が
『日本マクドナルドでは、売上高利益率を高く維持しながら、総資産回転率を減少させているのだから、〔図表 11〕の右下にある「不動産業・リース業」を目指しているのだ、というのが筆者の見立てである。日本マクドナルドの本質は「不動産業である」という解釈が、ここに繋がってくる。
 ただし、一口に不動産業といっても、次の2つの点に注意して欲しい。1つは、不動産の「売買」ではなく、「賃貸やリース」であることだ。
 もう1つは、〔図表 9〕で描かれている青色と緑色の、破線で示した楕円形に注目してもらいたい。青色の楕円形は直営店方式の割合が高かった時代の「不動産業」であり、日本マクドナルドの側に経営リスクがあった。緑色の楕円形はフランチャイズ方式の割合を高めた「不動産業」であり、経営リスクはフランチャイジーに転化されている。』
とマクドナルドの本質は不動産業であると指摘しているのに注目し、マクドナルドの成功要因を会計的な手法にあるのではないかと仮説を立てて研究をすることにした。


(3)外食チェーンのノウハウ
米国移民からマクドナルド誕生までの外食産業誕生の歴史を詳細に調べると、マクドナルド創業より80年ほど以前の1876年にすでに鉄道駅沿いに展開していた、チェーンレストランのハーベイハウスと言う企業の存在がわかった。ハーベイ・ハウスはレシピーの標準化、セントラルキッチンによる品質均一化、店舗監査の標準化、従業員への教育の均一化、などを実施したことがわかった。後のマクドナルド創業者の唱えたQSCという品質、サービス、クレンリネスの概念がすでにこの時点で明確になっていた。

(4)ハンバーガー業態の発明
ハンバーガーと言う商品に関しては、ドイツの移民などがひき肉料理を米国に持ち込み、万国博覧会などでハンバーガーと言う料理を作り上げた。そのハンバーガーを元にチェーン展開を1920年に中西部でハンバーガー店を開業したのがホワイトキャッスルと言うチェーンだ。1930年代には120店舗を超えるチェーン網を築き上げた。
 特筆するべきは、マクドナルドが提唱したと言われているQSCという概念を重視し、品質の低いひき肉を使うハンバーガーのイメージを向上させる広報活動を行い、外食産業で初めて新聞を使ったクーポン券の発行、紙製の帽子の発明、プレハブ店舗の開発等、後のチェーンレストランのフォーマットを築き上げていた。

(5)先行外食チェーンが存在しながら、なぜ、マクドナルドが外食トップ企業になったのか?
 ハーベイハウス(会社は売却)とホワイトキャッスル(現在も個人経営の小規模なチェーン)の両社のようにQSCをきちんと実現し、戦前にチェーン展開をした企業が何故、戦後に誕生したマクドナルドやKFC,バーガーキング、などのような巨大なチェーンになれなかったのかという疑問が出てくる。
 理由の第一はフランチャイズシステムによる他人資本の導入による急速展開だ。ハーベイハウスもホワイトキャッスルもQSCを厳格に守るためにフランチャイズシステムを導入せず、直営による展開にこだわった。直営主義は店舗の管理上はメリットが十分にあるが、急速なチェーン展開を行うためには多額の資金が必要である。ハーベイハウスはサンタフェ鉄道が鉄道利用顧客の利便性を高めて乗客を集めるため、ハーベイハウスの建設費用や食材運搬の鉄道運賃を負担し、かつ、家賃も負担するなどの多額の資金援助をしたので、個人企業でありながら多店舗展開が可能であった。そのハーベイハウスが会社を売却した理由は、後継者育成に失敗したこと(3代目が航空機事故で死亡)、交通手段が鉄道から自動車、航空機に移っていったことに対する対応が出来なかったことである。
理由の第二は株式上場だ。直営主義でも銀行借入により資金調達は可能であるが、担保の範囲内でないと資金調達は不可能である。銀行借入以外の資金調達として株式公開がある。株式公開することで潤沢な資金調達できるが、創業家の影響力が少なくなるか、全くなくなる。それを嫌った、ハーベイハウスとホワイトキャッスルは株式公開をせずにいた。それにより資金調達が出来ず、店舗展開はゆっくりにならざるを得なかった。
 株式公開により資金を獲得できるが、信用度の低い外食産業の場合株式公開に持ち込むのは至難の業であった。マクドナルド最大の競合バーガーキング社の創業者の自伝を読むとその苦労がよくわかり、バーガーキング社は自社での上場が不可能であり、食品メーカーのピルズベリー社へ売却をせざるを得なかった。同じくバーガーシェフ社もゼネラルミルズ社の子会社とならざるを得なかった。
ホワイトキャッスルが直営店経営で十分な利益を上げながらも全国チェーンになれなかったのは、直営方式にこだわり、かつ、株式上場を行わなかったため、初代から2代目に遺産相続をする際に莫大な額の相続税を支払わなくてはならず、そのため、経済成長が続いた時期に店舗展開する資金が乏しかったためである。
 この2つの先行外食チェーン企業の例を見てみると、外食チェーン企業の全国チェーン化には顧客を満足させるQSCや人気のある商品のハンバーガーだけでは不十分であることがわかる。
 

(6)フランチャイズシステムは万能か?
フランチャイズシステムにより外部の資金を活用して店舗展開をすることで店舗展開を急速に行えることができる。しかし、本部に潤沢な資金が必要なことは変わりない。店舗展開を急ぐにはフランチャイジーの募集、教育、営業支援、店舗建設、不動産取得などの先行投資が必要になる。
フランチャイズ展開をおこなって、加盟するフランチャイジーから得る資金は、加盟金(加盟時)、ロイヤルティ(開業後に売上比率に応じて徴収)がある。初期のフランチャイズ展開においては本部の知名度が低く、最初から加盟金やロイヤルティを高く設定することはできない。レイ・クロックがマクドナルド兄弟から全国のフランチャイズ展開権を購入するには多額の資金が必要であり、かつ、兄弟が既に売却していた地域フランチャイズ権を買い戻す際にも多額の資金が必要であった。レイ・クロックはフランチャイジーへのロイヤルティを当初は1.9%と低く設定していたため、本部の収益は不足な状態であった。
レイ・クロックの実質的な自伝の
【Love John F.(1986) McDonald's :Behind The ArchesBantam Books.Inc.(徳岡孝夫 訳 (1987)『マクドナルド わが豊饒の人材』ダイヤモンド社)】
の金づくりへの情熱P153においてフランチャイズ収入は経費を下回っていると以下のように述べている。
『今日(1985年)のマクドナルドは、フランチャイジーからサービス料として売上の3%を取っているが、マーケット・リサーチから新商品開発、出張サービスまで、サービスに要するコストは総売上の4%に達している。』


(7)マクドナルド社員の証言
ニューヨーク地区マクドナルド責任者であったFacella Poul氏は著書
【Facella Poul(2009) Every Thing I know about business I learned at McDonald's(岩下慶一・京希伊子 訳(平成21年)『マクドナルド7つの成功原則』株式会社出版文化社 )
P283-P290でマクドナルドを成功に導いた6つの要素を以下のように述べており、その中で財務を担当したハリー・ソネボーンが画期的なフランチャイズモデルを築き上げたことがわかる。

(1) 3人指導体制
レイ・クロック、フレッド・ターナー、ハリー・ソネボーン
(2) 実力主義
マクドナルドの昇進体型は個人の業績に基づいている。
(3) 3本足の椅子
オーナー/オペレーター(フランチャイジー)、サプライヤー(資材供給業者)、社員
(4) フランチャイズモデル
ハリー・ソネボーンが開発した財政モデルに重要な特徴がある。レイ・クロックはフランチャイズ起業が、収入を得るために生み出した様々な方法を嫌ったが、その代わりとなる方法については考えていなかった。そこにハリーは、画期的な方法を持ちだした。不動産を原価に上乗せして加盟店に貸付、マクドナルドを全米でも最大の不動産ポートフォリアを有する企業としたのだ。この方法は最低家賃を徴収するのではなく、売上に応じて「賃料の負担割合」が定められる。売上を伸ばすという共通の動機が生まれ、本社及び不安ちゃイジー双方の利害が見事に一致した。他の多くのフランチャイズ形式では、フランチャイジーが個別に賃貸契約を結び所有者となるが、マクドナルドのやり方では、本社が一括して不動産を扱うため、強い影響力を保持することができた。地主や不動産所有者にとって、マクドナルドは魅力的な相手だった。彼らは、個々のフランチャイジーよりもマックドナルドというビッグネームをよく知っていた。そして、通常20年という長期にわたる賃貸とライセンス契約を結ぶことにより、マクドナルドから安定した収入を得ることができた。」
(5)決して満足しないこと
  マクドナルドの繁栄は、常に改善を施行する文化に基づいている
(6)受け継がれる遺産
  1984年位81歳で亡くなるまで、レイ・クロックはマクドナルドにその身を捧げてきた。2代目社長のフレッド・ターナーはマクドナルド在任中、常に重要な任務についていた。組織の継承に個々まで熱心に関わる創業者を持つことは、マクドナルドのホコリであり、このような組織は他に類を見ない。
バーガーキングの共同創業のジム・マクラモーレ、ウエンディーズ創業者のデイブ・トーマス、ハーディーズの創業者ウイルバー・ハーディー、タコベル創業者のグレン・ベル、らは皆、後に事業を売却してしまった。これらの5社と比較してもマクドナルドはトップの座を占めている。レイ・クロックやフレッド・ターナー(現在もマクドナルドキャンパスで名誉会長として部屋を構えている)のような強い信念を持った創業者が常にマクドナルドの支柱として存在したため、売却や買収とも無縁だったのである。

(8)レイ・クロックの実質的な自伝の
【Love John F.(1986) McDonald's :Behind The ArchesBantam Books.Inc.(徳岡孝夫 訳 (1987)『マクドナルド わが豊饒の人材』ダイヤモンド社)】
の金づくりへの情熱P153
 『レイ・クロックはマクドナルド社の儲けにも感心がなかった。マクドナルド兄弟には寛大すぎ、フランチャイジーの成功には気を遣いすぎ、仕入先に対しては正直すぎた。だからマクドナルド社の収益は、フランチャイジー売上のわずか1.9%のサービス料(売上歩合のロイヤリティ)が殆どで、その1/4はマクドナルド兄弟に支払う。フランチャイジーから加盟時に徴収する加盟金は1店舗わずか950ドル、後に値上げしてからも1500ドルに過ぎなかった。(1961年以後は1万ドル)
 クロックはまた、マクドナルド加盟店に治める膨大な食品や設備から多額のマージンを取るようなことはしなかった。クロックが設立して所有していたプリンス・キャッスル社が1台150ドルのマルチミキサーを納めて、ささやかに設けただけ。フランチャイズを種に儲ける手段をすべて拒否したが、かと言って別の金儲け法を編み出したわけでもなかった。
 事実、その頃には、クロックを除く全員がマクドナルドをネタに大儲けしていたとさえ言える。各フランチャイジーには1950年代後半、年平均20万ドルの売上があり、4万ドル以上の営業収益を上げていた。その内マクドナルド社の取り分はサービス料(売上歩合のロイヤルティ)として3800ドルに過ぎず、その内1000ドルはマクドナルド兄弟に支払わなくてはならなかった。マクドナルド社の取り分では、クロックがつくった営業チームの経費はおろか、フランチャイジーに最小限のサービスを提供するのにも足りないほどだった。
 今日(1985年)のマクドナルドは、フランチャイジーからサービス料として売上の3%を取っているが、マーケット・リサーチから新商品開発、出張サービスまで、サービスに要するコストは総売上の4%に達している。
 もしクロック方式を頑固に守り、クロック時代のサービスを続けていれば、今日の業績、110億ドルの総売上(1985年)に大使4億3300万ドルの収益は不可能だったはずである。新しい金儲け方式に切り換えていなければ、1億1000万ドルの欠損を出したはず。つかりクロックのマックドナルド経営は、経理的には倒産への道だったわけである。
 マクドナルドを金のなる木に変えたのは、クロックでもマクドナルド兄弟でもなく、店で売りハンバーガー、フレンチフライ、ミルクシェイクの人気でもなかった。
 マクドナルドが儲けたのは、むしろ不動産投資とハリー・J・ソンネボーンの知られざる財テク技術であった。
 レイ・クロックは他のチェーンのように広い地域に何軒もの店舗を開店する権利を与えていれば、磁力で店舗を建てる出資者はいくらでもいただろう。だが、商売の質を重んじるクロックは1地域に1度に1店舗しか販売しようとはしなかった。その店舗の開店のためにフランチャイジーは半エーカー(約500坪)の店舗用地代に3万ドル、店舗建設費用4万ドルが必要であり、自己資金は勿論、銀行からの借入も難しいというフランチャイジー希望者が多かった。
 そこで、ソンネボーンはマクドナルド独自の不動産方式を考えだした。ソンネボーンは1956年にクロックがアイスクリームのチェーンテイスティ・フリーズからスカウトし、その後10年間マクドナルドの財務を担当した。クロックはソンネボーン死去の数カ月前に『ソンネボーンだけが我社を救い大会社にしてくれた。マクドナルドを大金持ちにしたのは彼だった』と絶賛した。

1)不動産賃貸をマクドナルドが行う方式
 最初のソンネボーン方式はマクドナルドが土地を賃借しフランチャイジーに手数料を取って貸すという仕組みであった。
<1>マクドナルドが不動産会社「フランチャイズ不動産」と別に設立する。
<2>次にこの会社がマクドナルドの店舗を立てても良いという土地を持つ地主を見つけ、土地と建物を借り受ける。契約は20年間。
<3>「フランチャイズ不動産」がフランチャイジー殿間に不動産取得手数料込みで又貸し契約を結ぶ。

という仕組みである。

ソンネボーンはマクドナルド社がフランチャイジーから受け取るフランチャイズ料の大部分が経費に回ってしまうため、この仕組を考えだした。以前に勤務していたテイスティ・フリーズでも同じ仕組を提案したが、同社はフランチャイジーに売るアイスクリーム・ミックスからコミッションを得ていたためにその方式を却下していた。

 マクドナルドがこの地主とフランチャイジーの中間にたった結果、定期的な現金収入が生まれたのだ。この収益は、食品や設備をフランチャイジーに売るよりもはるかに大きかった。
 地主との契約にあたってソンネボーンは店の売上に比例して地代・家賃を出せという、地主の要求には絶対に応じず、500ドル〜600ドルの固定賃借料を主張して妥協しなかった。
フランチャイジーへの又貸し契約では不動産取得手数料を当初20%、後に40%とした。マクドナルドが月に600ドルの地代・家賃を支払う店のフランチャイジーがマクドナルドに支払う家賃は最低840ドルとなり、差額の240ドルがマクドナルドの手数料となった。又貸ししたフランチャイジーが営業を続けさえすれば、マクドナルドには少なくとも40%の不動産手数料が入ってくるようになった。この手数料の40%は最低ラインであり、それ以上の場合もありえるようにした。実際にはフランチャイジーのマクドナルドへの家賃の支払いは固定ではなく、売上比例として、当初は5%とした(1970年からは8.5%)。実際には600ドルの地代であれば最低の家賃は840ドルとして、売上比率5%の方が多い場合は、額の多い売上比率を支払うようにした。地主には固定家賃、フランチャイジーからは売上比例家賃という収益を確保することに成功した。
 また、ソンネボーンが結んだ借地契約には一切値上げ条項がないので、マクドナルドの不動産コストは20年間は固定であった。しかし、フランチャイジーとの又貸しは、土地・建物に関する保険や税金のように将来値上がりが予想されるものは、全てフランチャイジーの負担となるようにした。
 1985年時点のマクドナルドの店舗数は9300店であり、その内のわずか500店舗が売上が低く、固定家賃のままに過ぎなかった。マクドナルドは2店舗を覗いて全店の不動産を管理していたので、黙っていても総売上の8.5%とサービス料の3%が入ってくるようになった。これはファストフード業界で最高の歩合収入であった。他のフランチャイズチェーンはこのマクドナルドの不動産収入の仕組みに注目せず、これが他社との財務の大きな差となった。
 ソンネボーンはその実績に自信を持ち「マックドナルドはファストフードの会社ではなく、実は不動産会社だ」と証券アナリストに吹聴するほどであった。1960年代70年代にマクドナルドは中産階級の増加した郊外に土地を求めたからであり、全米各地で郊外開発事業が進められていた。マクドナルドは、新しく取得する不動産の価格は時と共に上がっていったが、既存フランチャイジーの不動産関係コストは不変という他社にない利点を持っていた。長期間固定の地代(場合によては購入するオプション契約)で借りるか、土地を購入していたからである。それに引換、60年代に不動産に目をつけていなかった競合は70年代の不動産高騰に苦しむようになった。
 マクドナルドが支払う不動産関係コストが一定であったのに対し、インフレに伴う食品価格の高騰、店頭販売量の増加、歩合制家賃などにより、マクドナルドが得る不動産収入は急上昇したのである。マクドナルドに取って70年代の二桁インフレは恵みの雨であったのだ。


2)不動産転貸に伴う一時金の確保
 店を又貸しすると同時にフランチャイジーから保証金として7500ドルを受け取るようにした。(1963年以後は1万ドル)。保証金の半分は契約締結15年後にフランチャイジーに返還し、残りは20年目のフランチャイズ契約終了時に支払うようにした。その間、マクドナルドはその金を自由に運用できるわけである。
 
3)マクドナルドが不動産を取得してフランチャイジーに貸す方式
 当初はフランチャイジーから入る保証金を担保や頭金にして、年は借地で建物だけ取得する方式であったが、1960年代に入ると10年間の割賦契約で土地を買い、それを抵当に銀行から資金を借り入れて建物を立てるという方式にした。
 地主は10年間の割賦契約の間はマクドナルドが支払い出来なくなったり、倒産して支払いが不可能になるのを防ぐため土地に第一抵当権を設定し、支払いが滞った場合は不動産を取り戻せるようにした。借りた土地の建物の上に建物を建てる資金を銀行から借り入れる必要があるが、1950年代の銀行は、ファストフードという実績がない商売の担保として建物以上のものを要求した。そこで、ソンネボーンは地主を説得し、土地の第一抵当権を放棄するようにした。つまり、地主はマクドナルドに土地を割賦で売り、同時に銀行へ担保として提供するという、マクドナルドは自分の懐をいためずに土地・建物を手に入れるという発想であった。マクドナルドはフランチャイジーの保証金を運用し、不足分は地主や銀行から借り入れるという、素晴しい財テクを考案したのだった。
 フランチャイジーにとってもこの方式はメリットがあった。フランチャイジーが資金があって土地を購入できても、マクドナルドに比べ高価格で土地を購入したり、賃借をしなければならなかったから、マクドナルドの知名度を使って土地を取得して又貸しをしてもらったほうが、多額の資金も必要ないし、個人で借りるよりも安くなるというメリットもあったのだ。

4)不動産取得はフランチャイジーの管理を容易にした。
マクドナルドが不動産を取得する(地主からの賃貸も含めて)ことは上記の財務的なメリットだけではなく、フランチャイジーの管理上も効果が高かった。
 フランチャイザー(チェーン本部)とフランチャイジー(加盟店)の関係は1950年代にはまだ法的に確立していなかった。マクドナルドは不動産の管理をするようになってからフランチャイジーへの不動産の又貸し契約に、店がマクドナルドの認める商品の品質やサービス、に合致しない場合、契約を30日の予告期間を持って解約すると明記する強い立場になった。
 また、通常のフランチャイズ・ビジネスは地域営業権を法外な価格でフランチャイジーに売却したり、フランチャイジーの販売する原材料や機器に多額なマージンを乗せるなど
阿漕なビジネスと思われていた。1960年代と70年代にはフランチャイザーがフランチャイジーに対して備品や食品原料を一手に供給する行為に対し、「利害の衝突により違法」というフランチャイザー側が敗北する判例が出るようになった。
しかし、マクドナルドは不動産ビジネスで十分に利益を上げることができたので、その阿漕なビジネスとは無縁であり、法的にもフランチャイジーと争う必要がなかった。
 

(9)最大の競合のバーガーキング創業者の自伝によると
McLamore, James W.(1998) The Burger King : Jim McLamore and the building of an Empire
McGrau-Hill

 ソンネボーンを褒めておりP68-74
 ソンネボーンが上記に述べている不動産を活用した利益を生み出す仕組みを褒めている。

 また、

<1>財務 と 資本政策や企業買収
 マクドナルドとバーガーキングの大きな差は財務だ。両社はフランチャイズシステムにより自己資金が少なくてもチェーン展開がある程度可能であったが、安定する企業になるためには株式公開が必要であった。それには資金が必要であるが、その捻出のためにマクドナルドは有能な財務担当者を採用し、買収した土地や将来の買い入れオプションをつけた土地を担保に銀行から借り入れる手法を開発し、フランチャイジーに内装資金等を負担させ急成長させることができ、株式上場を成功させた。バーガーキングはこの土地を使う資金調達を出来ず、また、株式上場も成功させることが出来なかった。
 マクドナルドは土地を担保の借り入れた店舗を自社で直営店舗として運営し、数年後にフランチャイジーに売却して、営業権の差額を収益とする手法を開発し、チェーン本部の利益を高く維持することに成功し、株価を高く維持してきた。そのため、大手の食品メーカーなどに買収されることはなかった。
 バーガーキングは上場できず、資金調達のために当時の食品メーカー大手のピルズベリーという製粉メーカーの傘下に入った。レストランチェーンも食品メーカーも同じ食品を販売していながら販売方法が大きく異なる。レストランチェーンは多店舗展開する際の店舗への投資負担を避けるためフランチャイズ方式を取り入れるが、食品メーカーのようなナショナルブランドは広告宣伝をきちんと管理すれば、食品スーパーや小売店を通して全国に販売することが可能であった。そのため、食品メーカーは買収したレストランチェーンのフランチャイジーの管理が出来ずほとんど失敗に終わった。バーガーキングはその後いくつかの食品企業の傘下に入り長らく低迷が続いている。1960年代にマクドナルドより大きなハンバーガーチェーンであったバーガーシェフもゼネラルミルズ社という大手食品メーカーの傘下に入ったが、成功せずブランドは消滅してしまった。

(9)KFC
 KFCもカーネル・サンダースから買収したケンタッキー州の実業家ジョン・ブラウン(後のケンタッキー州の知事)達が、お酒のメーカーのヒューブラインに売却したが、成功せず、後にペプシコーラ社に売却した。ペプシコーラ社は食品メーカーであるが他の食品メーカーとは異なる性格を持っていた。炭酸飲料はその9割が水であり、一箇所で製造して全米に配達するのは非効率であった。そこで、全国各地に瓶詰め工場をフランチャイズ形式で建設し、本社から原液を送り、各地の工場で瓶詰めし販売させるようにした。その経験からフランチャイズ方式の管理の重要性を理解しているので、KFCは現在も存続することに成功している。

(10)営業権という打出の小槌を考案

 マクドナルドは自動車の大量生産と高速道路計画、GIビル、等のお陰で、中産階級が誕生して郊外型の生活に対応して新興住宅街に続々と進出していった。新興住宅街にいち早く出店することで土地取得コストは大幅に安くすることができる。
 その安い土地でマクドナルドが大成功することで土地の価格が上昇する。そこでマクドナルドは直営店舗で出店し、数年後に売上が一定規模に上がった段階でフランチャイジーに営業権を売却する仕組みを考案した。営業権でフランチャイジーが得るのは店舗の経営権と内装と調理機器等の資産である。マクドナルド本社は土地と建物は手放さない、
 通常営業権は売り渡す資産の額によって変わるのであるが、マクドナルドは年間売上高の4割から5割で売却するようにした。店舗内装材と調理機器の残存簿価と売却する営業権の差がマクドナルドに利益となってくる。
 その年度のマクドナルドの利益が高すぎる場合は、逆にフランチャイジーの店舗の営業権を買取り利益を減少させる。利益が少ない年には営業権を多めに売却し利益を確保する。その、営業権の売買により利益操作をすることでマクドナルドは安定した利益を確保することができ、株価を高く維持させることが可能になった。


以上



           
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