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飲食店経営 2004年6月号

マクドナルド藤田田元会長を偲んで


   私は25歳の時にマクドナルドに入社し当時40代のばりばりだった頃の藤田社長に、店長、スーパーバーザー、全国運営統括部長、機器開発部長、事業開発部長などとして20年接してきた。藤田氏を偲んで幾つかのエピソードを紹介しよう。

1) ハンバーガーよりも饂飩が好きだったのか?
藤田氏は饂飩が好きでハンバーガーは食べないと言うエピソードがあるが、実は好物の饂飩よりもハンバーガーを食べていた。平日は運転手付きの社有車を使っていたが休日には使わず、土日には奥さんに自家用車を運転させ、新店舗を抜き打ちで回り、必ずハンバーガーを試食していた。氏の母堂は大阪で牛乳店を営んでいた経緯があり、氏の牛乳等の乳製品に対する舌は大変優れており、米国創業者のレイ・クロック氏と同じくマックシェイクが大好きだった。

氏は公私を明確に分けていた。特に社員の追従を嫌った。(マクドナルド創業前からの知り合いは別として)あれだけの大会社の社長時代でも秘書を連れて外出をすることはなかった。国内旅行はもちろんのこと国外の出張も全て一人だった。また、会社の公式パーティーなどを除いて、仕事の後に社員と飲食を共にすると言うことはなく、社員に食事などをおごるという事は少なかった。

 22年ほど前に、サンフランシスコ・コンベンションに参加した藤田氏は大変機嫌が良く、最終日のパーティーで豪快にお酒を飲んでいた。翌日、車でシリコンバレーまで案内した時に、二日酔いの氏は車内で気分が悪くなってしまった。しばらく休憩し、現地に着いたのは12時頃であった。氏に「社長、何か食事をしていきますか?」と訪ねたら「そうやな、パスタみたいのがええな」と言う。「え、胃の調子が悪いのにパスタ?」思った筆者は「社長、パスタというと饂飩ではいけませんか?」と水を向けた。案の定、藤田氏は「そやな、それでええわ」と言う。近所の日本食屋に行って注文しようとすると藤田社長は「素饂飩」と言う。米国は肉などが安いので素饂飩も天ぷら饂飩も料金はたいして変わらないのにだ。
筆者がたった一度、藤田氏におごって貰ったのが米国でのこの素饂飩だった。

2)不動産のセンスはあるのか?
 食後、藤田氏と社宅を購入するべく不動産屋を訪問した。最初、不動産屋は氏のブロークンな英語を聞いて馬鹿にしていた。しかし、藤田氏が先方の提示する値段の価格の半額を示し、呆れる不動産屋に「エスクローと言う仕組みがあるだろう。先方にこの価格を提示してくれ」と言い放った。不動産屋はブロークンな英語を話す日本人が不動産の専門用語を話したので驚嘆して、それからは藤田氏のペース、とうとう先方の提示価格の3割引で購入してしまった。藤田氏の不動産選定のセンスと強引な交渉力は日本だけでなく米国でも発揮したのだった。

3)攻撃的な性格か?
藤田氏はその風貌、発言から大変攻撃的な性格に思われているが、実は大変慎重で失敗が明白で勝ち目が無い場合は、方針の変更や撤回を直ちに行った。1980年代にプラザ合意のお陰で、為替が円高にふれドルは120円前後になってしまった。それが幸いして、食材原価は低下したのだが、ある時強烈なクレームが舞い込んだ。


 日本が運営する米国海軍基地店舗では、円高でハンバーガーの値段が倍になり、兵士は怒りクレームが山のように司令部に来ていると言うのだ。ある日、アドミラル(海軍提督)が社長に会いたいと連絡をしてきた。過去の経過を藤田氏に説明し、「当社の責任ではないので、妥協しないでください」とお願いしたら、氏は「よっしゃ わかった」と納得。

 会合の場の薄暗い会議室には10数名の勲章付き軍服を着た将校達が海軍提督と厳しい目を向けて待っていた。儀礼的に自己紹介と雑談を交わしてから、海軍提督がハンバーガーの値段を切り出しました。「さ、日米ハンバーガー戦争の開戦だ」と身構えた私の耳に思いがけない言葉が飛び込んだ「わかった、米国海軍には親会社が世話になっているから、ハンバーガーを値下げする。」と藤田氏は言い放ち、相手があっけに取られているうちに「ほな、さいなら」と席を立って帰ってしまった。
 妥協点を早めに見極め、面子にこだわらず、相手の想定する妥協点よりも良い条件で短時間に交渉妥結をするという氏独特の交渉術だった。

4)好奇心に溢れていた
氏の亡くなった父上が技術者であり、優秀な技術者にあこがれを持っていた。そのため、特許を取れるような技術開発には力を注いでいた。米国マクドナルド社がPOSの開発に際して信頼性で苦労しているのを見て、松下通信に掛け合って日本のPOSを完成させ米国本社に導入した。氏の熱心さに松下幸之助氏(当時相談役)が直々に指揮を執っていたほどだ。筆者は自動調理器のクラムシェルグリルの前身である、ローラーグリル開発や洗剤の開発で特許を取って、「王君、君は全国統括運営部長だけれど、SVの頃から技術が好きだから、この際、兼任で機器開発部長に任命するよ」と誉められた。しかし、そこはしっかり者の藤田氏。仕事は倍になっても給料は変わらず。誉めてもお金を使わない氏の真骨頂だった。

5)社長は大変や
独立しコンサルタントになってしばらくして、氏と大阪空港のラウンジでばったり出会った。その時氏は「王君、社長って大変やろ」とぽつりと漏らした。それまでばりばりの経営者であると思っていたが藤田氏も経営トップとして孤独でつらい時もあったのだなと思わされたのだった。

最後に藤田田氏に心からのご冥福を申し上げます。


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